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レポート

2021/11/12更新

日吉まちログvol.16 | 人の想いを繋ぐ。四代にわたり日吉の地で愛され続けるたつ吉グループ

今回の日吉まちログインタビューは、1975年(昭和50年)に創業以来「遊膳たつ吉」「そば処たつ吉」「中国名菜 龍華」の3店舗を切り盛りされている、たつ吉グループ代表取締役であり女将の島名貴子さんと専務取締役兼統括マネージャーの島名正人さん。今と昔で変わったこと、変わらないこと、その想いを語っていただきました。

 

 

日吉と縁の深い「たつ吉」の名

歴史の裏にはストーリーがある。女将さんの祖父・河合龍三氏の「龍」と日吉の「吉」を合わせ「たつ吉」と名付けたのがたつ吉グループの始まりでした。日吉駅前にある現在の中華料理専門店・龍華の場所で「たつ吉」の歴史が動き出したのです。昔の頃を思い出しながら、まずはその名の由来について教えていただくことに。

 

「実は創業当時、『たつよし』が本当の名前でした。お店に来られるお客様が『たつきち』と呼ぶようになり、縁起がいいし『たつきち』でいいかと開業から1年もしないで名前が変わったんです。」

 

今日では和食・そば処・中華の3店舗を営業されているたつ吉グループですが、たつよしの名で最初は串に刺した鶏肉を自分で焼くセルフ焼き鳥屋さんだった…お店の歴史を辿ると、たくさんの思い出が蘇ります。

 

「母の代から通われているお客さまも多いので『娘さんですか?』と聞かれることも多く、何代にもわたって通われている方や、母にお世話になった方が長く通われています。そうしたお客様が足を運んでくださると、本当に長く続いているんだなと実感しますよね。」

 

昔からの常連さんに支えられていることに感謝していますと笑顔で語ってくれた女将さんと統括マネージャー。お酒が得意ではない先代だったそうですが、お客様が教えてくれる、そんな時代だったそうです。

 

 

がんばろう!と思える2つの想い

焼き鳥から始まり、和食と宴会の本店「遊膳たつ吉」「そば処たつ吉」そして普通部通りの中華店「中国名菜 龍華」と日吉エリアで愛されてきたたつ吉グループ。コロナ禍という飲食店にとって大変な状況の中、たつ吉グループが変わらず頑張る理由には、2つの想いがあるそうです。

 

 

「良いことも悪いことも、いろいろありました。昔は新横浜にもお店があって、繁盛していて…。新幹線に飛び乗る人、横浜アリーナの帰り道に立ち寄る人。私が幼い頃はそうした時代でしたので親は忙しそうでしたね。特に母親は強烈なキャラクターで、お店が全てという女性。ばっちりメイクして『お店は舞台よ!』とお店が生きがであり人生そのものでした。時には母と比較されることもあり、娘の私としては少し複雑な気持ちもあったのは事実ですよね。」

 

親の代から受け取ったバトンを引き継いでいこうとする想いは今も昔も変わらない。そうした思いを胸に、もう一つ「がんばろう」と背中を押してくれるものがあると女将さん。

 

「板長や板前をはじめ、長く働いてくださっている方々には心から感謝しています。子どもの頃から親の仕事を見てきましたが、2011年に起きた東日本大震災はお店にとって衝撃的な出来事でした。停電が続き営業もできない状況下でお店を畳もうかとなった時。板長たちが工夫して作ってくれたお弁当を見て、これは忘れられないと思いました。何がなんでもやっていける、がんばろうと思えるのは、バトンをくれた親がいること、そして心強いスタッフがいること、この2つがあるからだと感じています。」

 

 

今と昔、変わったこと変わらないこと

 

今と昔で変わったこと、変わらないこと。長い間、日吉の街を見てきた女将さんと統括マネージャーが感じることを聞いてみました。

 

「時代の流れもあって、大人数での会食や忘年会は以前より減ってきたという印象はあります。逆に家族での食事会や幼稚園の謝恩会は増えましたよね。数年前から忘年会シーズンの12月と同じくらい3月が忙しくなりました。昔から通われているお客様も多くいらっしゃいますが、お酒より食事を目的とされる方が増えたようにも感じます。」

 

時代に合わせて形を変えながらも、四代にわたり日吉の街で歴史を繋いでいるたつ吉グループ。日吉の街を訪れた際は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

 

取材協力:たつ吉グループ

取材:地域の広場アプリ ピアッザ